昨日のレースで儲けた分を、今日の阪神1Rに全部突っ込もうかと思いましたが、結局やめました。
阪神1Rには自分の出資馬が出ていて、圧倒的な1番人気でした。負けるわけないと思っていましたが、単勝1.2倍になっていて(最終的に1.4倍)、さすがにこれではリスクが高すぎるかなと思いました。それでも突っ込むという手もありましたが、万が一負けたときには、大損が後を引いて、今後その出資馬を愛せなくなりそうな気もしたので(笑)、バカな運試しはやめました。
結局普通の金額で3連単を買って、普通に外れましたが、出資馬は勝ってくれました。昨年シルクに入会して2頭に出資しましたが、これで両馬とも勝ち上がり。さらに、2頭合わせて、ここまで5戦3勝、2着1回、3着1回。今のところ完璧な成績です。あくまで今のところではありますが、このクラブとは相性が合うのかなあとか、勝手に思っています。全然理論的ではないのですが、やっぱり物事何においても、何かしらの相性っていうのはあるのかなと思ったりもします。今後も好相性のまま、出資馬たちが活躍してくれることを祈りたいです。
という話は単なる雑談で、今日は久々に三国志のお話を少し。
三国志を読んだことない方、興味のない方もいらっしゃると思いますが、一応最後は競馬につながります。
三国志をもの凄く大雑把に解説すると、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権の三者三国が中国の天下統一を目指して争うという物語です。前にも書きましたが、我々が普通「三国志」と呼んでいるのは、「三国演義」という戯曲を基にした小説ですが、今回は三国演義のベースとなった実際の歴史書、いわゆる「正史三国志」というものに書かれている話で、蜀の劉備の息子である「劉禅」についてのお話です。
劉禅は三国演義では、愚か者代表という扱いです。父の劉備が苦労して建国した蜀の国は、劉禅の代で魏に滅ぼされます。劉禅は幼名を「阿斗」といい、本当かどうかは知りませんが、現代の中国語では「阿斗」というのは、「馬鹿」という意味だとか。
ただ、その劉禅も、生まれつき愚か者だったのかというと、そうでもなさそうです。一応ですが、父の劉備が死ぬ間際に劉禅に送った書には、「丞相(諸葛亮)は、おまえ(劉禅)の知力が非常に大きく、進歩は期待以上であると感嘆しているそうだが」と書かれていて、少なくとも成人前は普通以上ではあったのではないでしょうか。もちろん、諸葛亮も自分の主君の息子を悪くは言えなかったでしょうから、話半分かもしれませんが、それでも2世君主としてとりあえずやっていけるレベルではあったのでしょう。
223年に劉備が死去して、劉禅が後を継ぎます。234年までは、諸葛亮が生きていたので、政治は大小問わず諸葛亮が決定していました。その間は、特に劉禅が出る幕もなく、特に皇帝としての事績もありませんが、チョンボもありませんでした。諸葛亮死亡後は、その後を継いだ、蒋琬(ショウエン)、費禕(ヒイ)、董允らが生きているときまでは、なんとか、あるべき皇帝としての務めは果たしていたようです。
ただし、董允の伝に次のような記載があります。
「劉禅はいつも美人を選び後宮を充たしたいと望んでいたが、董允は、古代にあっては皇帝の后妃の数は12人に過ぎない、今、宮女はすでに揃っているので増やすのは適当ではないと主張し、あくまで頑張って承知しなかった。劉禅はますます董允に気兼ねするようになった。」
これを見る限り、成人し、諸葛亮が死に、だんだんと自分の思い通りの行動がとれそうになってくると、愚かな行動をしでかしそうになっていたことがわかります。しかしながら、董允がいる間は、董允が目を光らせ強く諫めていたので、特に大問題は起きなかったのでしょう。
後に蜀の国は宦官の黄皓によって劉禅が籠絡され、デタラメ政治が行われるようになっていくのですが、董允の伝には、その黄皓については、次のように書かれています。
「劉禅が成長してくると、宦官の黄皓を寵愛するようになった。黄皓は巧みなへつらいと、ずるがしこさによって、劉禅に受け入れられるよう立ち回った。董允はいつも上には厳しい態度で主君(劉禅)を匡正し、下はたびたび黄皓を咎めた。黄皓は董允を怖れ、思い切って悪事を働こうとはしなかった。」
このとおり、少なくとも董允が生きている間までは、とりあえず「まともな」君主であったと言えるでしょう。
ところが董允が死に、董允のポジションを継いだ陳祗(チンシ)が黄皓と結託しだすと、黄皓はどんどん政治の中枢を支配していき、完全に劉禅を籠絡してしまいます。陳祗(チンシ)の代になってからは、劉禅がダメ人間になっていく様子も次のように記述されています。
「劉禅は、陳祗(チンシ)や黄皓が寵愛を受けるようになってから、死んだ董允に対する怨みの念が日ごとにつのり、自分を軽んじたと思い込むようになった。それは陳祗(チンシ)が皇帝に媚びへつらい、黄皓の告げ口がだんだんしみこんでいったためである。」
忠臣である董允を怨み、奸臣である黄皓を寵愛するようになって政治が乱れ、最後は魏に攻め込まれて蜀の国は滅亡します。
正史三国志では、各重要人物の伝の最後に、著者である陳寿の「評」がつくのですが、劉禅を陳寿はこう評しています。
「劉禅は賢明な宰相に政治を任せているときは道理に従う君主であったが、宦官に惑わされてからは暗愚な君主であった。伝え聞くに、『白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる』とあるのは、なるほどもっともなことである。」
この「白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる」というのは、「墨子」にある内容を陳寿がアレンジしたようですが、いい言葉だと思います。
劉禅が真に愚か者だったのかどうかは何とも言えないところですが、元々皇帝の息子という立場で真っ白の存在だったのが、色々な人によって染められていったということだけは確かでしょう。
諸葛亮がもっと長生きをしていたら、果たしてどうなっていたのかとは思いますが、結局のところはどうにもならなかったのかもしれません。
人間は自分の意志で行動するので、基本的には劉禅の様に周りからの影響で大きく左右されることは少ないかもしれませんが、動物の場合、馬の場合はどうなんだろうかと、いつも思ってしまいます。
馬の性格もそれぞれでしょうし、種牡馬ごとに気性のキツさとかも違うので、世話する方は本当に大変だと思います。自分の出資馬でも、やれ飼葉を食わず体重が減っただの、やる気を出さないだの、ゲートに入らない、言うことを聞かない、臆病すぎる、などなど。過去に色々な問題を抱えた馬がいました。
それらの問題せいで、残念な結果になってしまった馬もいましたが、牧場・厩舎の努力によって、幼駒の頃の問題は何だったのかと思うくらい成長を遂げた馬もいます。
馬が走るスピード自体は、ほとんど生まれつきで変えられないとは思いますが、その能力を真に発揮できるかどうかは、最後は人の手にかかっているのだと最近強く思います。
馬券だけを買っていた頃は、馬と騎手だけ、拡大して考えてもさらにコースや馬場状態くらいが競馬の要素だと思っていましたが、一口をやると、そこには他の人間の努力が大きくかかわっているというのがわかります。
もちろん、人の手によって壊されるということも起こり得ます。素質が高いと思われた馬でも、人の手によって壊されたということが過去にはたくさんあったと思います。
白糸である馬をどのような色に染めていくのかというのは、育成段階から始まり、厩舎に入って仕上げ、レースに出走するまで、さらには、その後引退するまで続けられる作業でしょう。
先の三国志の話を例にすれば、育成から厩舎、騎手に至るまで、すべてが諸葛亮に匹敵するような超一流であれば、やはり成功する可能性は高いのだろうと思います。もちろん、馬の素質自体があまりにも劣っていては話にならないでしょうが、ある程度のレベルにあれば、人の手による差分というのはかなり大きいのかなと思います。
くどくどと当たり前のことを書きましたが、馬ばっかり見て、人を見ないということがないよう、常に注意しておきたいと思っています。