人間のなす計略のおかげ
今年も中央競馬が終わって、競馬ファンも一段落。金杯まで待ちきれない人もいるかもしれませんが、しばらくのお休みですね。
ということで、というわけでもないですが、久々に三国志がらみのお話です。
三国志を読んだ人なら誰でも知ってる名場面の一つに、劉備が初めて諸葛亮と面会する場面がありますね。
志は高く持ちながらも、曹操に敗れ、流浪し、荊州の新野に居候の身の劉備が、人々から「臥龍(寝ている龍、転じて世に隠れた在野の賢人の意)」と呼ばれていた諸葛亮の存在を知り、配下の徐庶に、「ぜひ連れてきてくれ」と頼みます。
しかし、徐庶は、「この人(諸葛亮)は、こちらから行けば会えますけれども、無理に連れてくることはできません。将軍(劉備)自ら訪問なさるのがよいでしょう。」と勿体つけます。
読み物的にはこれ以上の期待感を持たせる描写もないですよね。さらに、この件は創作ではなく、正史の本文に記載されている史実と考えられる部分だから、余計におもしろい。
劉備は、徐庶の言葉を信じて諸葛亮を訪ねます。しかし、理由は正史に記載がないのでよくわかりませんが、とにかく何度か会うことができず、およそ3度目の訪問の後に、ようやっと会うことができたという。これが故事成語でもある、「三顧の礼」です。
諸葛亮に対面した劉備は、現在の自分の置かれた状況を詳らかに説明します。
劉備は、「私は、知恵も術策も不足しているため、結局つまづき今日におよんでいる。しかし志は今なお捨てきれない。君はどうしたらよいかと思うか。」
親子ほども歳の離れた青年、諸葛亮に対して、劉備は何の誇張もなく本心を打ち明けます。後から思うと、こういう誰に対しても心を開いて話すことができる能力、これが劉備の英雄たる所以だったのでしょう。
そして、その劉備の真摯な思いに心を打たれたのか、諸葛亮も心をこめて語ります。
「曹操は袁紹に比べますと、名声は小さく、軍勢は少なかったのですが、それでいて曹操が結局袁紹に打ち勝って弱者から強者になりおおせたのは、単に天の与えた時節ばかりではなく、そもそも人間のなす計略のおかげです。」
諸葛亮は、はっきりと、「人間のなす計略」によって今の窮地に対処できるのだと言い切ります。
そして諸葛亮は、このとき初めて自らの心に閉まっていた秘策である「天下三分の計」について語るわけです。
一口でもそうですが、人それぞれ置かれた立場は違います。相対的に有利な立場にいる人もいれば、不利な立場の人もいるでしょう。
それでも、「人間のなす計略」によって、その有利不利を逆転することは十分に可能だと思います。
計略と言っても、二虎競食の計とか、埋伏の毒とか、そういう計略があるわけではないですよ(笑)。データや人気予想、適正な資金配分、さらには名馬を見分ける眼、などが、ここで言う「人間のなす計略」に当たると思います。
人によって、それぞれ楽しみ方は違うと思いますが、私はこの、「人間のなす計略」を考えることが一番の愉しみです。
ちなみに、中央競馬のレース名にも三国志は関連しています。3歳ダートのオープン競走である「伏竜ステークス」、「鳳雛ステークス」はいずれも三国志から取られたレース名ですね。伏竜(臥龍)は、もちろん諸葛亮を意味し、鳳雛はホウ統というやはり将来劉備の配下となる軍師のことです。
また、伏竜・鳳雛は、未だ世に出ていない有能な若者という意味もあります。今年の鳳雛ステークスを勝ったカゼノコがG1馬になったことを考えると、まさにレースの名の通りになったのだなあと感慨深いです。
今、思いましたが、「埋伏の毒」という計略は一口でもありますね。一口では、「地雷」というのかもしれませんが。。