孟達と平安S
馬を選んでるんですけど、結局人を選んでいるという側面もあります。
言葉では、人馬一体とか、言うのは簡単ですが、馬は言葉は話せないので色々と難しい。
そこを上手くくみ取って結果につなげるのが、育成とか厩舎とかの力の見せ所でもあるでしょう。
馬の適性を見抜く力というのも、本当は重要なんでしょうね。
適性を見誤ってしまうと、とんでもない遠回りになることもあるでしょうし。
ローテーションも大事ですね。
強い馬になれば、誰だってローテーに気を遣うんでしょうが、大して強くない馬でも、やっぱり大切なことには変わりないでしょう。
なるべく良い体調の時に、なるべく良い条件で使いたい。
現実は厳しいですが、それが理想です。
昔、たしかウイニングポスト2だったと思うんですが、プレイヤーである馬主は、秘書とともに、挨拶がてら年始に各預託厩舎を訪問するんですよ。
そこで、調教師と会って、今年も頑張りますとかなんとか、ありきたりな挨拶をされた後、「各馬のローテーションを決めましょう」ということになるんですね。
で、関西の調教師の先生の場合、芝G1馬なのに、なぜか年明け初戦を「平安S(GⅢ)ダート1,800m」にしてくる場合があるんですよ(笑)。
え?って感じなんですが、先生は「よろしいですか?」って。
いいわけないだろう!オイ!って話なんですが、相手はゲームですからね(笑)。
熱くなっても仕方ないです。
面倒だなあと思いつつも、平安Sを削除して、日経賞とか阪神大賞典とかに変更するわけです。
で、その厩舎に所属している馬のローテーションが全部決まると、また次の厩舎に秘書とともに移動し、次の厩舎に挨拶をするわけです。
なんせゲームですから、有力厩舎に有力馬が複数いるので、年始の挨拶もなかなか大変。
次は関西の重鎮、芦口先生ですよ。芦口光次郎先生。芦口ですからね、念のため(笑)。
オーナーのおかげでG1勝てましたとかなんとか、芦口先生から感謝の弁を述べられつつ、「早速ローテーションを決めましょう」となる。
「このように考えています」とローテーションが示されるのですが、初戦は・・・
「平安S(GⅢ)ダート1,800m」
だから・・・芝でG1勝ってるんだから。。芦口先生、ボケちまったのかよ・・・とか呟きながら、仕方なくまた手動でローテーションを変更します。
まだまだ挨拶は続く。次は仁藤雄司先生の厩舎です。
関西の名門。仁藤雄と言えば誰でも知っている。
しつこいですが、仁藤ですからね(笑)。
オーナーのおかげで・・・以下省略。
ハイハイわかりました。
それでは早速ローテーションを・・・
平安・・・
ウガーーーーーーーーッ!
どないなっとんじゃい、このアルゴリズムは!!!
さすがにイライラしますよね。
まあ、これは当時を覚えている人でないとなかなかこのアルゴリズムを理解できないんですが、実は平安Sって、1993年に重賞に格上げされた年は「馬齢」戦だったんですね。
だから、G1馬だろうが準オープン勝ったばかりの馬だろうが、同じ馬齢なら同斤量だったわけです。
しかも、今と違って、G1馬は別定戦での負担重量がかなり厳しかったので、出られるレースがかなり限られていた。
中山記念とかでも、G1馬が出ようとすると60kgになっちゃうことも普通にありましたから。フジヤマケンザンなんてG1勝ってないけど60kgになっちゃってましたから。
ということで、1月にある馬齢戦の平安Sはコンピューター調教師にとっては、とっても魅力的な番組だったのでしょう。
その、平安Sが馬齢戦で番組が組まれていたときに発売されたゲームだったので、こういう悲劇の?ローテーションがまかり通ってしまったわけです。
その後というか、1994年以降は平安Sは普通に別定戦になるんですよね。
あの最初の1年は一体なんだったんでしょうか。
それにしても、芝G1馬の年明け初戦にダート戦を選ぶのはどうかと思いますが。。
現実の世界で、平安Sを選ぶ人はさすがにいないですよね。
まあ、強い馬はゲームみたいに変なローテーになることはまずないですから心配ないです。
問題はそんなに強くない条件馬とか未勝利馬なんですが、正直、いますよね。
たまに。
ウイニングポストの生き写しかとおもうようなローテーを組む人が(笑)。
ゲームやってるとわかります。
強くない馬って、だんだん愛着が薄れて、ローテーションも適当になっていきますよ。
でもまあ、それはゲームだから許されるんであって、現実では許されないですよね。
ダビスタとかだと、放牧に出したまま忘れちゃうってこともあります。
私だけかもしれませんが。。
他の強い馬に気を取られてしまって、気がついたら半年くらい牧場に置き去りだったとか。
そこまでデタラメな管理をする現実の先生はいないですが、あからさまに適当だなあという管理をする人はいるでしょう。
馬が強ければ良いっていうのもありますが、平等とは言わないまでも、馬房優先だけで考えられると、腹は立ちますね。
そのような先生をどう評価するのかは人それぞれですから、あとは自分で経験してみるしかないというところでしょう。
他人の感覚が必ずしも自分に当てはまるとは限りませんから。
こういうウイニングポスト先生タイプの他に、最近は、孟達タイプの先生がいるなと思いました。
孟達って、三国志に出てくる孟達です。
三国志を全然知らない人のために少しだけ説明すると、孟達っていう武将は、最初は劉璋という君主に使えていたのですが、それを裏切って、蜀の国の劉備に仕えます。
その後、色々あって、劉備を裏切って魏の国の曹丕(ソウヒ)に仕えます。
しかし、曹丕が死んでその子の曹叡の時代になり、曹叡から冷遇されるようになると、今度はまた蜀の国に復帰しようと画策します。
まあ、要するにいけ好かないマイペース野郎を通り越した、完全な裏切り者です。
三国志で裏切り者っていうと、呂布とかのイメージですが、私はこの孟達が一番どうしようもない裏切り者だと思います。
ただ、ここでは、その孟達の「裏切り者」という点ではなく、勘違いぶりというか、別の残念な部分を思い起こすのです。
以下は三国志を読んだことがある前提で話をしますが、曹叡から冷遇され始めた孟達は、性懲りもなく、「蜀に復帰してもいいよ」って感じで蜀の丞相である諸葛亮に連絡してくるんですよね。
これは小説の演義でもそうですし、実際の歴史である正史でも同じです。
よせばいいのですが、弱小国蜀にとっては渡りに船。強大な魏といえども、内部から反乱起きれば攻め寄せる絶好の好機になります。
諸葛亮は孟達が裏切り者であることを知りつつも、孟達の復帰の願いを聞き届け、一緒に魏を倒すぞ!ってことになるんですよね。
残念なのはここからです。
小説だと、諸葛亮が手紙で、「司馬懿が攻めてくるからなるべく早く防備をするように」と口酸っぱくして助言をします。
しかし、孟達は聞き入れない。
「諸葛亮は心配性すぎる。いくら司馬懿が有能とはいえ、今から準備をして攻め寄せるには最低でも1か月かかる。なぜなら、まず兵を整えたあとで、都で皇帝に謁見して出陣の挨拶をし、実際に攻め寄せるのはそれからだ。どう考えても1か月はかかる。その間にこちらはゆっくりと防備を固めることができる。」
とノタマウのでした。
これを聞いた諸葛亮は、「もうだめだ」と、いきなりあきらめの境地になってしまうという(笑)。
三国志ファン、蜀贔屓としては、街亭の戦いの次くらいにガッカリするシーンです。
諸葛亮がショックを受けたかどうかは本当のところはわかりませんが、正史にも、先の孟達の謎の宣言はほぼそのまま載っています。
そして、小説のとおりに、司馬懿は都に寄ることなく、兵を整えた後、1か月どころかわずか数日で直接孟達のところに攻め寄せ、あっさり孟達は敗れるという。
まあ、さもありなんという最期で、小説の読者も妙に納得してしまうシーンですよね。
調教師の先生にも、たまに、孟達みたいな妄言を吐いて、結果チョンボという場合がありますよね。
適性が合わなかったとか、それはやってみなければわからないので仕方ない部分はあると思うんですよ。
一方で、「頭数も落ち着きそうなので、このレースには出れるでしょう。このレース一本に絞って調整していきます。」ってうパターンがあります。
オイオイ、本当に大丈夫かあ~、その週になったら大挙して集まってくるんじゃないでしょうなあ~。
そして、当該週にクラブから。
「除外となりました。来週以降のレースにまわります」
とかいうやつですよね。
「痛恨の除外でした」
まあ、そうなんですけどね。
実際仕方ない場合もあると思いますよ。
でも、その辺はもう、馬を仕上げる能力とか云々以前の問題。
馬自身の体調や運もあるでしょうが、ローテーションっていうのは、ある程度前から予定して組めるものなのだから、もう少しどうにかならなかったのかというのもあると思います。
あと、当日いない騎手を想定して、「次もT騎手にお願いしたいと思っている。」とかそういうのも勘弁でしょう(笑)。
誰だってミスはあるでしょうが、一事が万事ってこともあります。
なるべくならウイニングポストっぽい先生や孟達っぽい先生は避けたいところです。
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