ただ経験が豊富なだけなのだ
久々に三国志のお話からです。
ある日、曹操の配下である毌丘興:カンキュウコウ(毌丘倹:カンキュウケンの父)が、異民族の羌族に近い安定に赴任することになりました。
出発前に、曹操は言いました。
「羌族は中国とよしみを通じたいと思っているから、赴任したら、きっと向こうから人を派遣してくるだろう。慎んでこちらから羌族のほうに人を派遣してはいけない。
こちらから人を遣れば、善人は得難いものであるから、きっとその派遣した人物は羌族をそそのかして、中国に対してむやみに要求をださせ、それにつけこんで私腹を肥やそうとするだろう。
かといって、羌族の連中がなにがしかの要求をしてきて、それを無視したら、風俗を異にする羌族の連中の歓心を失うこととなり、逆にこちらが要求を飲んだとしたら、それはこちら(中国)にとって利益にならないことだろう。」
曹操からの直々のアドバイスでありましたが、毌丘興は結局、着任後、羌族に対して中国から役人を派遣してしまいました。
果たせるかな、その役人は案の定、羌族をそそのかし、きっと「オレとお前たちがタッグを組めば、色々と中国から金銀財宝が手に入るぞ」というようなことを言ったのでしょう。
しばらくして、羌族のほうから、その役人を属国都尉に就任させろなどと勝手なことを言ってきました。
もちろん、その話は曹操のいる都にも聞こえてきたでしょうし、おそらく曹操配下の諸将は、
「曹丞相のおっしゃるとおりになった」
「曹丞相の慧眼、神にも通ずる」
などと口々に言っていたことでしょう。
その話を聞いた曹操は皆に向かって言いました。
「わしはこうなるに違いないと予知していたわけだが、それはわしが聖人であるからではない。ただ経験が豊富なだけなのだ。」
陳寿の三国志正史、魏書Ⅰの「武帝紀(曹操の伝)」の本伝に記載してあるお話です。
※若干想像で勝手に言葉を補足しました。興味がありましたら正史を読んでみてください。
いやいやいや、言ってみたいセリフですねえ~。
ただ経験が豊富なだけなのだ、なんて、言葉にすると一瞬下ネタかと思えてしまいますが、魏王にまで昇りつめた曹操が言うからこそ重みのある言葉だということでしょう。
一時は中国統一目前まで行き、抜群の軍略・才智を有し、かつ、それでいて晩年まで常に書物を離さず、忙しい中で孫子に注釈まで入れるという「時代を超えた英傑」であったからこその言葉だし、だからこそ、陳寿もこの逸話を本伝に記載したのでしょう。
一口でも、経験がものをいう場面はきっとあるでしょう。
募集馬を選ぶ際もそうですし、デビュー後どのような活躍が想定されるのかとか、色々と経験すると、むやみに喜べなくなったり、やたらと保守的になることもありますね。
かといって、まったく経験値がなくとも、当たりを引くことも可能ですし、実際そういうこともあると思います。
それはそれで幸せでしょうし、なかなかうまく行かない人は、今は経験値を積んでいる段階だと思えばいいのではないでしょうか。
そしてG1を勝ったときには、先ほどの言葉、「わしはこうなるに違いないと予知していたわけだが、それはわしが相馬眼があるからではない。ただ経験が豊富なだけなのだ。」と言ってみれば、喜びは倍増するかもしれませんね。
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